昭和45年10月13日 朝の御理解



 御理解 第96節
 「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」

 信心を頂いておりますと、段々神様がいわば有り難うなってくる。有り難うなってくれば有り難うなってくる程、神様の悪口などを言われると、こんなに腹が立つことはない。もうむきになって悪口を言う人があると、こっちもむきになって腹が立つ。まいろんな悪口を言う人があります。けれどもそれはこちらがね、段々神様を頂いていっておるしるしであり、神様がいよいよ有り難うなっていっておるしるしです。神様の事をとやこう人が云うても、それは何ともないと言うなら、これはちょっとかえっておかしい。
 けれどもやはり、神様の事をあれこれと人が口の端にかけるようになる。その時には、やはり、神様を有り難く、頂かせて頂いておるときだと思うて、だから有り難いなと。いわゆる神様がもう自分のものと云うか、自分が神様のものと云うか、云うようにある時なのである。他人の事を悪口を言われても腹立ちません。けれどもやはり、身内の者、とりわけ親、兄弟の事を云われたら、腹が立つように。
 いわゆる神様との仲がそのように密接になっておるしるしなのだ。という事だけではなくて、それは神のひれいじゃと、云うておられます。神のヒレイ、ね、それは神の勢いじゃと。合楽の、例えばここの教会の場合でも、今日までこうしておかげを頂いて参ります迄には、様々な事を根も葉もないようなことを云われて参りました時代がございましたですね。あの本当に、いちいち言い訳をしたいような事もありましたけれども、やはり、あれは神様のご比礼であったなと今にして思うのです。
 ですから、それは神のひれいじゃと、だからそれは御礼を申し上げるべきの事だと。神が顔を洗うてやると。神様が顔を洗うてやるとおっしゃることはね、誰がみても聞いても、成る程、神様じゃなと言うような、おかげが受けられるという意味だと思うですね。私は今日はそういう、ま、この御理解の中から、少し意味が違うかもしれないけれども、やはり、それも神様の比礼だなと思うたことがあります。
 昨夜もう十一時位もありましたでしょうか。久しぶりでテレビを見せて頂きよりました。そしたらあの両親が私の側にやって参りまして、テレビを見ながら、いろいろ私に話しかけるんです。この頃、先生あんたは、私が見よると日に日にやせていきよるようにある。ね、そしてがばきつかりそうにしておるが、どういう事かと。まあ私の身を案じて云うてくれる訳なんです。
 もうそれも本当にもう心から親が子の事、子供の事で心配になるていうのは当たり前の事でございますけれどもね。心から心配そうである。心配せんでんええと例えばそういうてもです。ね、やはり心配しなければおられないそれが親なんです。まあ私の信心の大体元々のところを思うてみるとその親に喜んでもらいたい。親に安心してもらたい。もうそれが私の信心のま、一生懸命打ち込む元を尋ねるならその事だった。
 終戦そして引き揚げ。もうそれこそ、食べるのに食がなし、着るに衣なし、といったような時代なんです。ね、本当に北支三海迄もいうなら、働きに行くと言うのも、ね、やはり故郷に錦を飾っていわゆる、親に安心してももらいたい。喜んでももらいたい。という一念がその北支三海迄も行って、しかもそれは敗戦、引き揚げ、もう目も当てられない惨状である。これでは何の為に、今まで働いてきたか分からない。
 そこで神様に御願いをさせて頂いた事は、両親が元気なうちに安心してもらいたい。喜んでもらいたい。その為には例えば云うなら、どういう信心でもさせて頂きますという、その親に喜んでもらいたいとか、安心してもらいたいの一念が私の信心に、打ち込んだ最初の動機でした。おかげで今日まで両親共長生きのおかげを頂かせてもろうて、元気でおります。ところが最近成る程母が申しますように、自分でも日に日に痩せていきよるように自分でも感じる。そこで私はこれじゃちょっとね話が違うと。
 神様に親に安心してもらいたい親に喜んでもらいたいのが、私の願いなのに、ね、私の体がこのようにありますことによって、親にいうなら限りない心配、又は不安を与えておる。これはどうした事であろうかと私は思わせて頂いた。そしたらね『それが適当な云わば神への親孝行ぞ』と頂きました。私はそれを頂いてからですね、今日この九十六節を頂かせて頂きましてね、これは神の事をとやこう人が口の端にかけるのも神のヒレイとおっしゃるが、これは神という事だけでなくて、ならこれは私自身の事。
 皆さんでもそうでしょう。ね、合楽に御神縁を頂いて、私と皆さんの関係が段々深くなってくる。先日も、そこのバスの停留所でこの合楽の金光さんな、元椛目の大坪さんげなのと云うて話をあそこでしとる人があった。あの人はもうあんた、若か時には酒屋の小僧じゃった。しかしまあ、成功したもんじゃなるばいと、まあほめ言葉やら、悪口やら、分からんような話合をしておるのを横できかせていただいてね。
 ま、無性に腹が立った。といい訳をしたいような気がしたと。過去は過去、現在は現在。信心によってあれだけのおかげを受けておられると、のだから、過去の事が何かというようなことを、その人達に一口言うてやりたいような気がしたけれども、ま、幸いそこにバスがちょうど来たから、ま、下りと上りのことですから、ま、だったと言われるように、皆さんが親先生親先生というて、ま、いうなら大事にして下さる。
 その親先生の事を人が悪口を言うたら、腹ん立つくらいにあるだろうと思う。もし腹が立たんならちょっとおかしい訳なんだ。やはり、というように、やはり、これは神の事をとやこうじゃなくて、先生の事をとやこう云われると腹が立つぐらいある。けれども、それは神のヒレイじゃという事なんです。悪口じゃない、そんなら、私が体が悪い。ね、私がもう十年くらいになりますか、六、七年足が立たなかったですね。立ったり立たなかったり、ね、自分で立ち上がるということが出来なかった。
 その時分の例えば私を評しておる人達の、とうとう、あの、えらいおかげ頂きよったけれど、ね、とうとう足が立たんごとなった。中風になった、まあいろいろな、云うならば、本当なことですからね。けれどもそれには尾がひれがついて、いろんなはじき返ってくるようにそういう風な話が。けれども私の心の中にひとつの何というかね、自信と云うか、確信と云うか、神様の御都合だと云う、ひとつの確信がありますからね。誰が何と云うてもひとつも恥ずかしいとは、思わない。
 むしろこれは神のヒレイだなと思うておった。それはそうですよね。御本部参拝させて頂いても、あの奥城に私があの時分はまだ八十五キロからありましたからね。私をおんぶできる人は、そう何人もおりませんでしたよ。それがあのたくさんな大勢の中で、御大祭なんかの時には、私があーた、おわれて歩きよるとですからね、奥城に参るでも何でも。なんも普通から云うなら、恥ずかしゅうてこたえない事。
 あれが合楽の大坪さんたい、あれが椛目の神愛会の大坪だと、もう背中にそれが見え聞こえるような思いじゃった。けれども私がひとっつも恥ずかしいと思わなかったでしょうが。これは神様が宣伝して下さりよると思うたですね、私はあの時分に。椛目の大坪、椛目の大坪と。いわゆる、目立たんわけにはいかんですもんね。大きな男がおんぶしてから、奥城に登って行きよるっちゃ。
 そりけんちゅうて、わざわざ演出した訳ではないけれどもです、これは神様の御ヒレイだな、その時分御本部自体が金光教全体が、椛目の神愛会というものに対して、非常な好奇心やら、色眼鏡を以って見ておった時代です。それに私がなら御本部おんぶして回るといったような、又は両方に手を支えられてから、歩いておるのですから。ある人達はええ気味だと云うておる人達が感じられる。それでも平気だったですね、私は。そんなものを皆さんは感じられなかったでしょう。
 私の心に中には、それこそ神様のヒレイだなと思うておったです。それがそういう風な確信というかね、ものが持てれるのも成る程、おかげを受けておったからです。ね、夕方まで立たなかった、さあ晩は御月次祭というときには、すーっと立てよったです。これは神様の御都合に違いはないと思う節々があってからの事ですから、やはり確信がもてておった。神様の、神のヒレイだったんですよ。
 昨夜の事でも、私は成る程、夕べも久富先生とお風呂に入らせて頂いてから、ちょいと久富先生、やせたもんじゃあるのち。私が足を立てておると、かにの手のごとなっとるです。もう骨が出とるから、こうなるわけです。昔はこれがまーるしとったっちゃもん。痩せなさったですね、と久富先生が洗って流してもらいながら、云われる位に、痩せとね。体は、まーだ。顔はこの位ですけどね。それを母が見て心配をする。
 私が見よると日に日に痩せよるのが分かると。親ですよねやっぱり。日に日に痩せていきよるようにあるが先生大丈夫がと、こう云うのである。けれども、私の願いとしては、いまも、先程も申しましたように、この両親に喜んでもらいたい。この両親に安心してもらいたいばっかりの一念が、一心に神様に打ち向こうた動機だった。それまでも、随分信心は長いのですから。
 ただし信心はまるきり商売の道具のように、集金がよりますごととか、ね、商売が繁盛しますようにと云うて、願うだけの神様であった神様に対して、いわば私の信心が少し本当なことへなってきた。ね、神様が喜んで下さるような願いの元に、信心が打ち込まれるようになってきた。しかもなら、その親というものが、肉親の親から、又教えの親、云わば天地の親というように、その親に対する、この親に喜んでもらわなければ、と言うふうに変わってきたことは間違いありません、ね。
 天地の親神様に喜んで頂きたいという、世のお役に立ちたいといったような祈りとか願いが出来るように段々信心が生長して参りました事は事実ですよね。けれどもやはり、ならそれで親に不幸をしてよいという事はない。なお親にも喜んでもらいたい、安心してもらいたいというのは、同じ事。そこでなら、私がこのように、なら親の目から見ると、日に日に痩せていっておるような、ならその状態がね、神のヒレイじゃという事はどんな事なんだろう。
 あのね、適当な親孝行ということは、どういう事だろうかというとね、もううちの息子には、もういよいよ安心、もうこれこれくらい出来たからもう大丈夫と親はいう。子供は子供で又、うちの親に心配させちゃならん、どういう心配事が起こったっちゃ、もう親には言うなと、いうようなそれが普通なんです。けれども信心させて頂いておったら、そうじゃないようですね。
 これは私の知った人が、山本の方ですけれども、植木屋さんで大変儲けだした人が、長い、北満の抑留されておられましてから、遅うに引き揚げて帰ってこられました。もうおじいさんというのは、私の父と友達位でしたけれども、やっぱりそのおじいさんがたくさんな使用人を使うて、その植木屋さんとしよんなさいました。もう帰って来んかもしれんというような状態の時に、ひょっこり息子さんが帰ってこられた。それはもう親の喜びは大変なものだった。
 ところがその喜ぶのはよかったけれども、それでやれやれという安心が出た、本当にもうすぐ亡くなられました。おじいさんが。成る程安心して死なっしゃったから、親孝行じゃあるばってんね、ようく考えよると、親孝行が親孝行でなかごたる感じですよね。親という者はね、子供の事を一生懸命心配しとる。切実である。ね、ですからこれは自分が年とっちゃならん、あれが帰ってくるまでは元気にしとらんならん、という、はずみがね、やっぱりそうじゃった。
 なら、私となら、今日の両親の場合でもです、思いよると、ああ有り難い事だなぁ、おかげだなぁ、適当に神様が私の事を心配させて下さりよる。分かってくるでしょうそすっと。さあそこに信心があるから、やはりこれはもう、八十になったから、九十になったからというてですね、信心をおろそかには出来ないことになってくる。両親も。ね、やはり心にですね、ひとつの若返り、ね。
 若返りをさせるような、いわあば若返りのお薬のようなのもんです、子供がちょっとどうあるということは。してみると成る程、私がこうやって、日々なら親の眼から見ると痩せよるようにある、それもやはり神のヒレイだということが言えますでしょう。あれも安心、これももう安心と、ね、親を云わばぼうけさせたり、又は親を早死にさせたり、といったようなことになる。気持ちがしゃんとしておるとぼうけません。
 もう九十になったりしますとね段々ぼけてくるです。所がさあ本当に緻密なその精神です。子供の事を一所懸命思うてやっぱり心配する、それがねそれが適当に神様に向けられるわけです。生き生きとして。成る程神のヒレイだということが分かるでしょうが。そしてなら私自身はそんなら日に日に痩せておってもどうかというと、私自身には確信がある。場合によっては私は糖尿病であるけれども、大部分は糖尿病という名の神様の御都合だと思うておる。これは神様を信じておるからそれが思えれるのである。
 これ程しの私の一念を神様が聞いて下さらんはずがない。親より先に、私が早死にするようなことのあるはずがない。そういうやはり心も手伝うて参りますね。私は云わば適当に親孝行が出来ておるというその意味が分かられますとね、神の今日は、神の事をとやこう人が口の端にかけるのも、それは神様の生きた神のヒレイであることが分かる。お互いが、いよいよ神様が信じられる事になると様々の難儀、様々の問題がです、それを神のヒレイとして受けることが出来、神様のおかげとして受けることが出来る。
 昨日十二日ですから美登里会がございました。日田の高芝さんと一緒に綾部さんも娘さん連れて一緒に美登里会に参加しておられました。して皆さんいろいろ信心の話を聞かせて頂いて、最後に、ま、成る程おかげを受ける人は違うなぁと、まあようやく信心を頂くようになって一年、皆さんがこれはいうておられるんですけれども、私共が二十年かかって頂けんごたあるところをいうなら把握してござる。
 本当に素晴らしいなというてみんなでま、話した事ですけれども、その話の中にですね「先生、今日私がこちらへ出らして頂く時に、長男がお母さん、今日は行ってくれるなと言う」、ね。「いいや今日はお参りするよ。お参り、お参りさせてもらう」「そんなら参ったら直ぐ帰ってきてくれ」ち。昨日は二千六百五十万の手形があった。それでもう店の者はもう前の日が休みだったものですからね。
 もうそれこそておざおである。けれども私が合楽にお参りさせて頂きよるとじゃけん、おかげになる、ち言い切って参りましたというお話をしておられます。いわゆる一年の間に確信が持ててきた訳ですよね。神様を信ずる力が出来てきたわけなんです。ま、そんな、いろいろなお話を聞かせて頂いて、しておりましたら、夕べ御祈念させて頂こうと思いよったら、それこそたくさんのお供えをいっぱいお供えを持って、番頭さんつれて、御礼参拝してきました。親先生帰らせて頂いて、驚きました。
 もう私もあそこから、あげん所からもう集金があると思われなかった、全然当てしとらんところから集金があって丁度それだけの金額が集まったちゅう。それでもう店の店員の全部が、金光様のおかげちうて、みんなが言いよりますちゆう。私が思うのはお互いがおかげを受けたらですよ、それこそうちの使用人の全部が成る程うちの親父は違う、金光様の信心するけんおかげ頂くなという位、おかげ頂かなきゃ駄目ですよ。
 はあ、うちの親父がもう金光さんにぼうけちしもぅちからと、陰口を言われるこつじゃ駄目だ。私もひとつ連れちいってくれんのと言われるくらいなおかげを頂かにゃだめだ。私そんなに思いました。いわゆるそういうですね、段々その確信、その確信、信ずる事がです、ね、又神様が信じて下さる事にもなる。神様の事をとやこう例えば成る程、身内の者の事を言われると腹が立つ、腹が立つけれども信心させて頂く者はです。
 それを神のヒレイとして、頂けれるおかげを頂かなきゃいけん。金光様の事を悪口を誰かが云うてもです、なら自分が本当に頼りになる人とまあ、思うて、親先生親先生というて下さる皆さんがです、なら親先生の事を誰かが悪口言いよってもです、はあこれはまだ合楽はばさらかこれからもまだまだ伸びるぞというような気持ちをね、持たなきゃいけません。もう人がですね。
 ほめ言葉ばっかり言うた時にはもうそれでおしまいだと言われるくらいですから。だからまあだ合楽の事をまあだ、隅々の方でですね、はぁ成る程、神様じゃなぁと感心している人もあると同時にです、合楽の悪口をまぁだ言う人がある方が、実を言うたら有り難い事なんだ。これはまだ、合楽が伸びるぞとそこに確信が持てれる信心、それを今日は私と親の事で申しましたですね。成る程私が痩せていく、これも事実である。糖尿病であると云う事も事実である。
 それを見て親が心配せんというのは不思議なくらい。それを昨日はもうしみじみと両親が、私の側に寄ってきて、そう言うんです。ね、大丈夫かと。私が目からはもうほんなこて日に日に痩せよるごたるがと、こういう訳なんです。それで心配しなさんなと言たって、やっぱり心配なんだけれども、ならこれを私の立場でそれを考えるとです、私がこうやって体が悪いことは親孝行の為にこのように痩せよるんだということが言える訳なのです。親が適当なです、生き生きとした心で神様へ向かう。
 おかげでいうならば、ぼうけもせん。去年でしたか、おとどしでしたか、父がちょっと、これはじっちゃまこりゃぼうけござるとじゃろかと云う事が二、三日続いたんですよ。お風呂に行くとに便所に行ったりですね、ここに参ってツーッと上さん上がったりするとですよ。ね、そう言うときにですね、やはり何か生き生きとしたものがポッと入っていくと精神がしゃんとやっぱする訳なんですよね。
 こりゃとても息子がこげんして瘠せて行きよるとに、親がしゃんとせなおられんと言ったようなものが出来てくる訳。してみるとそれは適当な親孝行という事になるでしょうが。それを例えば世の多くの人はです、体の悪いことは親に言うちゃ、親が心配するから言わん。心配するような事はもうおばあちゃんには言うなと言うようなことではそりゃ信心がないなら、それが本当かもしれませんね。
 けれども親も信心がある、子も信心があるならばです、ね、例えば本当に心配事はむしろ、親に打ち明けて、私は親に言うてもらうならね、それこそあの親の祈りというものは子供に対しては強力ですからね。久留米の井上さんが今、東京に行っておられます。娘さんが子宮ガンでもう難しいかと言う電報が入った。それでここにその電報を持って御願いに来ましたから、とにかくもうその姉妹、四国におられる姉妹達までがみんなで、とにかく合楽に一生懸命御願いするから、御願いしてくれと。
 けれども母にはいうてくれるな、どんなに力落としをするか分からんと言うて、その姉妹達が言いよりますから、母には言わんがやっぱいいでしょうかとこう言う云うてお届けがありました。私は直ぐ申しました。ね、あんた達の祈りよりもね、ああた方のばあちゃんが祈りなさった方が神様に通じると私が申しました。だから帰って直ぐ言いなさい、ほんなこつば。ね、そりゃもう不思議なおかげを頂いて、子宮ガンでしたが、おかげを頂きました。ほりゃもうおばあちゃんはちょいともうびっくりしたと。
 まあ娘の中でも一番まあ、親の目から見ても不幸せ。結婚の相手が、余りよくなかった訳ですよね。それでそれじゃなくても心配しよるとに、子供が二人もおるとに、親が子宮ガンで倒れたというのですから、そりゃ心配するのが当たり前。けれども親には、信心がある。それからおばあちゃんが毎朝、日参される。朝の御祈念に参ってくるごとならしゃった。その当時。
 それこそ親のそれこそ自分の命を縮めてもと言うて、姉妹達はそげな事は言いきらんです。けども親ちゃそげんあるのですからね。私が命を縮めちからでもどうぞ助けて下さい。だから私が申します。それはおばあちゃんに言いなさいと。あなた達の姉妹三人がかかってする、祈るよりも親の祈りの方が強烈なんだ。おかげ頂きたいならば、おばあちゃんにも話しなさいと云うて話させました。
 だからそう言うところをお互いが心得とかなきゃいかんです。信心のある者は。それがならむしろ親孝行でしょうが。その後にですね、その事を話したら、おばあちゃんがね、姉妹達がそのかくしとかんのと言うた事に改めて腹立ててから、ばさらかやかまし言いなさったと。もうおかげ頂いてからこっちです。そげな事私に言わんなんてん。何でんそげな事じゃなかろかちちから腹かきなさった。
 かえって親は腹立てるくらいなんですよ。だから今日の意味は少し意味が違うようですけれども、神への信心があるならばです、それも神のヒレイ、困ったことも神のヒレイ、悪口言われることも神のヒレイ、それを確信されれるおかげを頂くときに、ここで腹を立ててはならんとおしゃるが、腹は立てんで済むおかげ。勿論その先には、神が顔を洗うてやるというおかげになってくるですよね。
   どうぞ。